#illusion #幻影 #intothewild
#illusion #幻影 #intothewild
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silkscreen on mirror, wooden panel
h: 150, w: 100, d: 3 cm
2025
※ 個展「particle」(2025.8.2 sat - 9.6 sat)出展作品のため、会期後の納品となります。
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「#illusion #幻影」は、SNS上で読み込み中に表示されるぼやけた画像に着想を得たシリーズです。不安定な通信環境下で垣間見える曖昧なイメージを、粗い網点によるシルクスクリーンでミラーに定着させた作品群は、個人的な投影を許容する“鏡”のように、見る者の記憶や感情を呼び起こします。
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Artist Comment / 上田 佳奈 Kana Ueda
子どものころ、建築図面にならって、教室にいる自分を真上から描くという授業があった。幽体離脱するように身体から抜け出して空間を俯瞰することで、それまで当たり前だった日常の見え方が一変したのをよく覚えている。授業が終わったあとも、「この瞬間を上空から見たら、どう映るだろう」と、ふと考えることがあった。それは、世界の見え方に唯一の正解がないことに気づかせてくれた、私にとっての原体験だったように思う。
似たような驚きは、あらゆる物質が粒子でできていると知ったときにもあった。観察するレンズやフレームを変えるだけで、世界はまったく異なる姿を見せる。ひと続きに見えるものも、実際には無数の断片や層が折り重なり、入れ子状に構成されている。こうした感覚は、のちに版画という技法と出会うことで、より実感をもって理解できるようになった。
版画では、イメージを版に写し取る過程で細部が失われたり、意図せず書き換えられたりすることがある。さらに、同じ版を用いても、刷りの条件によって像がわずかに揺らぐ。粒子レベルで考えれば、完全な複製などそもそも成立しないと言えるだろう。
こうした考え方は、版画だけでなく、日常で私たちが行っている「ものの見方」にも通じているように思う。私たちは、外界からの信号や情報、言葉や概念などを、あたかも固定されて確かなものであり、等しくコピーや交換が可能なもののように扱っている。しかし実際には、知覚する側とされる側、送り手と受け手との関係性によって、ものごとの現れ方は絶えず変化する。私たちが「見えた」「わかった」と感じるそのものごとも、主体と客体のあいだに一時的に立ち現れる現象にすぎず、その背後には、選ばれなかった無数の可能性が静かに漂っている。
本展示で紹介する2つのシリーズ「particle」と「#illusion #幻影」は、それぞれ異なる出発点を持ちながらも、前代表の林さんから「本質的なところでつながっているのでは」と見出してくださったことをきっかけに、並置して展示することになった。視点の転換は、いつも外との接触によって引き起こされる。
粒子と全体、ミクロとマクロ、記号と意味──そのあわいを行き来することで、焦点がやわらかくほどけ、世界の見え方に新たな広がりが生まれればと思う。
(個展「particle」ステートメントより)
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