ルビィク・リーム
ルビィク・リーム
monotype, oil, pastel on paper
h: 32.5, w: 26 cm
unique
2024
※ 納品は展覧会「置き去られた鏡」終了後(2024/4/20)以降となります。
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[Artist Statement]
今回は、モノタイプの技法と重ねて「鏡」というテーマが画廊主から提案された。底無し沼に⼊るようなテーマに躊躇したが、やってみないとわからないと、私は受けることにした。モノタイプはアクリル板に絵の具やクレヨンで描いたものを紙にうつしとるだけのシンプルな技法だ。左右反転し、筆触や絵の具の盛り上がりがない、あっさりとした質感の絵が出来上がる。しかも⼀枚のみである。なぜ、⼀枚の転写のためにわざわざ絵を描くのか。鏡という意味深い⾔葉と、実際に出来上がった軽やかな画⾯とのズレが悩ましく、解けない問いを⽴ててしまった。以下に、制作中に浮かんだ雑記を記す。
『置き去られた鏡』
朝、鏡の前に⽴って私はほうっと息を吐く。
鏡の表⾯は少し曇り、寝ぼけた⽼⼥の顔がうつっている。背後には緑の引き出しと、描きかけの絵に洗濯物。⼿にしたスマートフォンで反転した⾃分を撮影する。私は⼿のひらの中で⾃分の姿を⾒ていた。
記憶の瘡蓋を剥がし続け、物語=ナラティブの闘争が重苦しくのしかかる⽇常では、今までとは異なる物語の技法と態度を、私は希求せざるを得ない。⾵景が光景に変わる前に、あるいは光景を⾵景に変える前に、舞台の幕が上がるその前に、舞台の最中にも出番を待つものが⽇々の⽣活を営み、⽣を描く。明るさと暗さ、こちらとあちらを⾃由に⾏き来できる空間として「幕間」が存在する。
⽇常では、簡単に癒すことのできない哀しみや可笑しみがいくつも連鎖する。物語=ナラティブを編み直すには、空になる場所が必要だ。展⽰前の空間、品物を取り出した後の箱、データを消した後のハードディスク。絵の具と像が剥がれた、プリント後のモノタイプの版。それらは幕間と⾔えるだろう。
もうすでに⼈は鏡に姿をうつさなくなったのだろうか。⼣暮れに鏡にうつる私の姿は、絵の具が剥がれたモノタイプの版に変化していた。幕間から少し⾶び出た絵が、うつらぬ息を吐きながら鏡の向こう側から近づいてくる。
朝と⼣の悪戯に満ちた再会が叶うように願い、鏡にうつるたった⼀枚の絵に、ほうっと息を吐いてみようか。
2024年1⽉27⽇筆 松井智惠
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松井智惠 : 置き去られた鏡
Chie Matsui : The Forsaken Mirror
2024.3.23 sat - 4.20 sat
ギャラリーノマル
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